2010年05月29日

いっしょに暮らす。 長山靖生



★★★★☆

印象


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若者文化のなかでは、友人を持てるかどうか、他人とのコミュニケーション力による評価は、大きなポイントだ。ある時期の若者にとって、恋人がいるかどうかよりも親友がいるかどうかのほうが重要だし、お親や先生にいえないことも、親友になら相談できる。
それは明治時代も現代も、たいして変わっていない。だが現代では、そんな濃厚な人間関係産まれる場所は、ほとんどなくなってしまった。
そういえば昔は、若者は共同生活を経験するのが普通だったではなかったか。
 学校での寮生活や軍隊生活、会社の独身寮。あるいは「ひとり暮らし」であっても、昭和三十年代までは間取り下宿が主流だったから、下宿生活は親から離れて「ひとり」になることは。実は同時に、他人の家でそこの家族となり他の下宿人たちと共同生活をすることでもあった。「ひとり暮らし」は決っしてひとりでの暮らしではなかったのだ。
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「一緒に暮らす」ことは昔と現代では様子がずいぶんと違ってきた。昔は自然と他人と一緒に暮らす環境ができあがっていたようんであるが、現代では核家族が減って一人暮らしが増えてきた。
 昔と現代との比較でいつも思うことだが現代の人々が変わってきたのではなく、社会全体としてそのような環境膠ってしまったように思う。現代においてもし、子どもを昔のような寮や軍隊に入れるのは適切な解決法ではないし、今の社会と合わないに違いない。しかし、学生を卒業して社会にでると他人をふれあうことが必須条件になるにちがいないし、求められる能力である。
 今の時代にあった解決法を模索していくことがこれからも必要だと思う。
posted by ナオキ at 00:21| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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